作曲とプログラミングは同じものとは言えないが、全く別のものとも言えないところもあるかもしれない。オブジェクト指向のプログラミング手法の考え方を通して、作曲というものを見てみるのも面白いと思う。もっとも筆者はプログラミングに関しては専門外なので、ここでは継承という考え方に少し触れる程度のものとなると思う。
オブジェクト指向を辞書に例えてみる。辞書に載っている一つ一つの言葉には複数の意味や用法が記載されている。その中で一番初めに載っている意味、その言葉のもっとも基本的な意味とされるものを親クラス、二番目、三番目以降に載っている意味を、子クラスと見ることができるかもしれない。子クラスの(辞書の単語の二番目、三番目以降の)意味は、親クラスのそれとは別の意味のようでいて、親クラスの(辞書の単語の一番目の)基本的な意味に基づいているものである。ある言葉の基本的な意味というものは、場面に応じて柔軟に拡張し、変容し得るものだろう。オブジェクト指向は、言葉というものの似姿のようなところがあるようにも思える。
変数、インスタンス、メソッド、プロパティ、クラス、インターフェース等への適切な名前の付け方を始めとして、抽象と具象の関係、ポリモーフィズムの手法など、オブジェクト指向プログラミングでは言葉をどう扱うかということが重要で、何かしら言葉の哲学めいたところのあるようにも感じられる。機械語レベルでは、シーケンシャルなアドレス空間にすぎないものが、オブジェクト指向プログラミングに到って、言葉の体系ともいうべきものが構築されているようなさまは、とても興味深い。
このオブジェクト指向と関連付けて、本記事では作曲というものを二つの側面から見ていく。はじめに動機労作(Motivisch-thematische Arbeit)、次にオーケストレーションの側面を取り上げ、作曲というものを、少し違った視点から見ていきたいと思う。
動機労作について
まずはじめに動機労作という言葉について簡単に説明すると、ある一つのモチーフ(小単位の音楽の部品)をいくらか有機的に変化させつつも繰り返し用い、展開し、楽曲の部分や全体を構成していくような作曲手法。なぜそれが良いのか、それがなぜ一つの作曲手法として確立されたものとして考えられているのかといえば、理屈で考えれば、それによって有機的統一性や作品としての自己同一性が明確に得られるデザイン手法であるからとはいえるだろう。
もっとも音楽は、時間軸上にあるもので、しかも聴覚現象だからデザインという概念や建築的側面(より少ない種類の素材でより大きな全体を構築することを美とするような)ではとらえきれない面もある。それゆえ動機労作という手法は、流れる時間における音現象の有機性の人の内面に与える影響だとか、あるいは記憶、認識のしやすさ等はその問題とするところとはなるだろう。この動機労作というものについては、その何が良いのかというところは、いくらか言語化しにくい面はある。wikipediaの記事も引用してみよう。
Dabei spielt die Ökonomie der verwendeten Motive eine Rolle: Die ideale motivisch-thematische Arbeit, wie sie um etwa 1900 verstanden wurde, soll beliebige, bloß dekorative Floskeln verhindern, indem sich alle Bestandteile des Musikstücks auf einen gemeinsamen Kern zurückführen lassen, der ihren Zusammenhang ausmacht.
Wikipedia “Motivisch-thematische Arbeit”の項より
1900年前後に理解された理想的な動機づけ-主題作品は、音楽のすべての構成要素が、その一貫性を構成する共通のコアに遡ることができるようにすることで、恣意的で単なる装飾的なフレーズを防止する必要があります。
Wikipedia “Motivisch-thematische Arbeit”の項より DeepLによる翻訳
Im Kontrast zu dem in Renaissance und Barock zentralen Kontrapunkt gilt die „thematische Arbeit“ als zentrales Gestaltungsprinzip der Wiener Klassik. In dieser Hinsicht steht das Wiener Klassische Thema dem barocken (und älteren) Soggetto gegenüber, da es selbst schon aus Motiven entwickelt ist, während letzteres aus einem einzigen melischen Zug besteht. Die thematische Arbeit wird im Zusammenhang mit Joseph Haydn als „große Erfindung des Schöpfers und Gründers der modernen Musik“ genannt. Ludwig van Beethoven gilt gemeinhin als der Komponist der Wiener Klassik, der die motivisch-thematische Arbeit in seinen Sonaten, Quartetten und insbesondere seinen neun Sinfonien nicht nur zu absoluter und maßstabgebenden Meisterschaft geführt, sondern diese innerhalb der Durchführung zum zentralen und dramatisch bestimmenden Bestandteil seines kompositorischen Schaffens erhoben hat, welches für die kompositorische Nachwelt (beispielsweise Johannes Brahms) bestimmend blieb.
Wikipedia “Motivisch-thematische Arbeit”の項より
ルネッサンスとバロックの中心的な対位法とは対照的に、「テーマ作品」はウィーンの古典主義の中心的なデザイン原則と考えられています。この点で、ウィーンの古典的なテーマはバロック (およびそれ以前の)ソゲットとは対照的です。それ自体がすでにモチーフから発展しているからです。このテーマ作品は、ヨーゼフ・ハイドンに関連して「現代音楽の創造者であり創始者の偉大な発明」と呼ばれています。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベン彼は、ソナタ、カルテット、特に 9 つの交響曲でモチーフをテーマにした作品を絶対的かつ標準的なものにまで引き上げただけでなく、発展の過程でこれを中心的かつ劇的に決定的なものにまで引き上げた、ウィーン古典主義の作曲家と一般に見なされています。彼の作曲作品の構成要素であり、後世の作曲家にとって決定的な ものでした(ヨハネス・ブラームスなど)。
Wikipedia “Motivisch-thematische Arbeit”の項より Google翻訳
オブジェクト指向に関連しては、”音楽のすべての構成要素が、その一貫性を構成する共通のコアに遡ることができるようにする”というところがポイントとなるかと思う。
ベートーヴェンの場合
ベートーヴェンの交響曲第五番の第一楽章は、次のリズムモチーフを親クラス(superclass)と見做すことができる。
これを継承した無数の子クラス(subclass)がスコアのいたるところに配置される。
ここではいわゆる運命動機も子クラスとして扱われる。音楽のモチーフは、その特徴においてリズムが重要な要素であり、より抽象的なクラスであるところの親クラスとしては、リズムモチーフの型をとるのが適切と思われる。
動機労作という観点からは、ベートーヴェンの交響曲第五番の第一楽章は、すでに語りつくされているという感もある。次に違った例を挙げてみよう。
松任谷由実の場合
春よ、来い
松任谷由実『春よ、来い』は、次のリズムモチーフを、親クラスとして見做すことができる。
これを継承した子クラスは、Aメロの旋律の終わりあたりで自然に生じる。
その後、Bメロの旋律は、Aメロの終わりで生じた子クラスを敷衍して、すべて子クラスによって構成され、サビの旋律もまた、八割がた子クラスの集積により、構成されている。以下、子クラスの一覧。
前奏から流れるピアノ伴奏のフレーズにも子クラスが含まれている。一つのフレーズで親クラスのリズムモチーフを三回鳴らして積極的に聴かせている。そしてこのピアノのフレーズは曲全体を通して鳴っているので、これにより親クラスによる曲全体の統一がより徹底されていると言える。
卒業写真
荒井由実『卒業写真』。この曲の旋律全体は、次の三つの親クラスを継承した子クラスによって九割がた賄われており、よくまとまった構成となっている。
親クラスc は、b'(親クラスb の子クラス) から生じ、親クラスa もまたb’に組み込まれている。このことから親クラスa,b,cは有機的なつながりを持っている。
b’とは親クラスb を継承した子クラスを表すが、上の譜例の上段、下段ともにb’として表現できるというのは、オブジェクト指向の考え方の良いところかと思う。その同じb’に片やc が組み込まれ、片やa が組み込まれている。それゆえにa, b, c は良く有機的で強固なつながりをそれぞれ持っていると考えることができる。
ラヴェルの場合
ボレロ
ラヴェルの『ボレロ』は、同じ旋律が何度も繰り返し、繰り返すごとに楽器編成が変化していきつつ曲全体を通してクレッシェンドし続けるという構成の作品であるが、この繰り返されるテーマから楽器編成の情報を削り取ったものを、基底となるクラス、親クラスと見做す。そうするとこの作品は、基底となる親クラスにもとづく子クラスが隙間なく連続して現れる構成と見ることができる。
この見方で行くと、楽曲全体(Codaを除く)を通しての明確な変化要素は、継承となる。親クラスをどのように継承していくかでのみ音楽が持続しているとも言える。それは逆に言えば、ずっと親クラスが生き続けているということにもなる。それは畢竟、継承によって人を巻き込んでいく親クラスの芸術性といった感がある。
大まかな曲全体の構成は、AABB*4 + AB + Coda となっている。
ラヴェルのピアノ作品について
もし完成度の高いピアノソロの作品があるとしたら、それはピアノという楽器の性質に特化したところがあるであろうことが想定される。よってオーケストラへの編曲には不向きなものであるとも想定される。ある完成度の高いピアノ作品に対し、それを書いた同じ作曲家の手によって同時にオーケストラ版が制作されるということは、一般にはあまりないだろう。
しかしラヴェルのピアノ作品の多くは、ピアノ作品としての完成度が高いにもかかわらず、そのオーケストラ版が同じ作曲者の手によって制作されている。これは他の作曲家に見られない、ラヴェル独自の手法、スタイルと思われるが、このことに名前をつけたい。
この場合、ピアノ版が親クラス、オーケストラ版が子クラスであるが、親クラス、子クラスは、換言すればそれぞれ抽象クラス、具象クラスとなる。即ち具象クラスであるオーケストラ版に対して、抽象クラスであるピアノ版が完成度が高いということは、あまりないことである。
それは抽象クラスゆえに、一般にオーケストラ作品を制作するためのスケッチの域を出る必要のないものである。そのスケッチたる抽象クラスが高度であるというスタイルであるから、これは抽象クラス芸術であるとか、洗練され自立した抽象クラスの美などといった言い方が考えられる。
これによって、ラヴェルは彼の作品において、上に述べたような彼独自の美のありようを提示しているということをいくらか言葉で説明できたことになるのではなかろうか。
参考文献
中山清喬/国本大悟 著 「スッキリわかるJava入門」第三版 インプレス