最近聴いたアニソン その5

最近聴いたアニソンで、「ダンジョン飯」OPED全部、「俺だけレベルアップな件」OP曲と、「薬屋のひとりごと」OP曲。

「ダンジョン飯」のOP曲とED曲

1クール目のOP曲とED曲を聴いていた時点で、「あるいはそうではないか」とも思っていたが、「ただの偶然か」とも思っていた。2クール目のOP曲とED曲も聴くにいたって、偶然であるとかないとか考える必要は特にないと、判断されるようになった。1クール目を視聴していた時点で、OP曲、本編、ED曲を通して見て、それがあることによって、ある種の統一感のようなものが次第に感じられ、これは悪くないかもと思っていた。

作曲的手法として、OPED曲を通して、共通するモチーフ、旋律素材が使われているという見方ができるのではないかということを書いてみたい。それはモチーフとしてはシンプルなもので、順次上行する四音、階名にして「ソラシド」。あるいはその逆行形である「ドシラソ」及びその移調。モチーフ、あるいは旋律の部品としては、これだけではシンプルなものであるが、多様な楽想に対応し得るというメリットがあり、耳に残りやすいような使われ方をしている。

BUMP OF CHICKEN「Sleep Walking Orchestra」 作詞・作曲:藤原基央 編曲:BUMP OF CHICKEN & MOR
冒頭の旋律-BUMP OF CHICKEN「Sleep Walking Orchestra」より

ヴォーカルの歌いだし、旋律の冒頭で使われ、耳に残りやすい。

緑黄色社会「Party!!」 作詞:小林壱誓 作曲:小林壱誓・穴見真吾 編曲:穴見真吾・LASTorder
サビの旋律-緑黄色社会「Party!!」より

サビの冒頭で耳に残りやすい。音価的には縮小されて使われている。

sumika「運命」 作曲・作詞:片岡健太
サビの旋律-sumika「運命」より

二クール目では、基本形「ソラシド」の逆行形である「ドシラソ」が使用されている。やはりサビで使用され、ここでは少しリズム的変化が付け加えられている。

リーガルリリー「キラキラの灰」 作曲・作詞:たかはしほのか
サビの旋律-リーガルリリー「キラキラの灰」より

サビで使用。「ドシラソ」の移調形である「ファミレド」が使われている。リズム的変化はいくらかありつつ、音価的には拡大傾向にあり、それは楽曲の性格ともあいまって、音楽的終止感を象徴する拡大のようにも思われる。

最後の『キラキラの灰』での「ファミレド」の使われ方は、音価が拡大されていることもあり、旋律の一部として溶け込んでモチーフ的には扱われていないが、これは着地点としては適したあり方のように思われる。

というのも、このOPED四曲でのモチーフの扱われ方だけを見ても、そこに起承転結があるように思われる。即ち、OP1ソラシド(起)-ED1ソラシド(承、音価が短く)-OP2ドシラソ(転、逆行またはリズム的変化による)-ED2ファミレド(結、音楽的終止)。

共通するモチーフ、旋律の部品としてはシンプルであるが、それぞれ変化に富んだ使われ方をしている。

このように一つのアニメ作品の2クール分、それぞれ異なる四つの楽曲で、共通するモチーフがあって通底していると考えるならば、映像もあいまって、交響曲のように壮大な構築感があり、かつモチーフの扱われ方に起承転結の時間軸がともなっているのであれば、優れて有機的なまとまりを持たせるものとして、このアニメーション作品全体を支える支柱として活きるような手法と見ることができるのではないだろうか。

SawanoHiroyuki[nZk]:TOMORROW X TOGETHER「LEveL」

SawanoHiroyuki[nZk]:TOMORROW X TOGETHER「LEveL」 作詞:澤野弘之, Benjamin 作曲:澤野弘之

映像の最初の方の、踏切で電車が通過する場面が何か良いなと思って、何が良いのか自分なりに考えてみた。

このOP映像では、時間軸上の映像の空間構成が優れていると思った。広がりのある背景(通過する電車等、動的な要素をともなった)と広がりのない背景とが音楽の構成に合わせてメリハリをもって構成されている。

イントロからヴォーカルの入りへかけて、音の数が一気に増えるところで、映像の背景も一気に広がりを持つ。また、Bメロで、音数が少なくなるところでは、映像の背景も広がりを持たなくなる(即ちその直前の映像では空間的広がりのある場面である)。そしてサビの入りではまた、同様に音数が増え、映像も最も空間性を活かした動的な場面となるというようにシンクロしている。

この手法は、音楽の認知にとっては良い効果をもたらすと実感される。また映像の認知、臨場感においても相乗的に優れた効果をもたらすだろう。なぜなら、視覚と聴覚は、それぞれ「空間の認識」ということの多態性をそれぞれ具現しているものであると考えられるからで、これはプログラミングのオブジェクト指向で言う多態性(ポリモーフィズム)と同じ概念で考えている。

緑黄色社会「花になって」

緑黄色社会『花になって』 作詞:長屋晴子 作曲:穴見真吾 編曲:川口圭太・穴見真吾

ヴォーカルの旋律と伴奏とを含んだ、旋律動向のデザインに特徴がある。旋律動向と同音反復が、旋律構成のあるいは伴奏を含んだ楽曲全体の主要なモチーフとなっている。

旋律動向については、同音反復に基づく直線的な動きと、交互に上行し下降するジグザグな動きとが対照的に扱われ、構成されている。

サビ以前では、主に旋律は、同音反復が持続したのち最終的に旋律の語尾が上向く、というような旋律動向でおおむね統一されるようなデザインとなっている。

冒頭の旋律-緑黄色社会『花になって』より

伴奏の休止を伴ったヴォーカルの独唱となるパートの手前では、冒頭2音のみ同音反復するジグザグ型メインの旋律があらわれる(サビの準備)。ここでの同音反復が縮小し、ジグザグ部分が拡大する傾向は、サビの旋律へと継承される。また、明確なジグザグ型の旋律動向は伴奏においてしばしば用いられる。

Bメロの中間部-緑黄色社会『花になって』より

持続する同音反復から派生したと考えられる、2音よる最低限の同音反復は、サビの旋律の冒頭や、サビの前のヴォーカル独唱への伴奏の合いの手で使われる。

サビの旋律のフレーズの冒頭に、2音の同音反復を残しているのは、同音を反復することに音楽的エネルギ-を表出することを託しているというような楽曲全体のあり方から、楽想として有意であると見られる。

サビでは、フレーズの冒頭2音のみ同音反復で、以降は大きく、また小さくジグザグに旋律は動向し、サビ以前の部分との大きな対照を描いている。

サビの冒頭の旋律-緑黄色社会『花になって』より
最近聴いたアニソン その5

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